急がず、休まず

道を歩いているとき、石につまずいたとします。その反応の仕方はそれぞれです。自分がうかつであったと反省する人、石に腹を立てる人、石をそこに置いた人間を恨む人・・・・・。一つ一つの出来事をどう受け取るかによって、人生は良い意味でも、悪い意味でも大きく変わるといわれます。物事をどのような目線で見ていくことが大事なのか。庭野日鑛・立正佼成会会長による智慧と慈悲のメッセージを贈ります。

検索


急がず、休まず

救われの「形」

  • 変化
  • 感動
  • 友人
  • 宗教

佼成会には、救われていく一つの「形(かた)」があります。剣道や柔道、華道など「道」のつくものには、「形」があります。仏道にも「形」があります。この「形」は、とても大事なこととして教えられています。私は、たまたま剣道をしておりましたが、基本的には、「形」をしっかりと身につけます。「形」にはめられるわけです。それは、その人の我(が)を取り去っていくことにもつながります。
例えば、佼成会では、朝夕のご供養をさせて頂いています。私などは、若いころ、朝夕のご供養が嫌いでしたから、なかなかできませんでした。しかし、そうした「形」にはまることは、「嫌い」という我を取り去っていくことでもあります。
ですから、「形」とは、結局、先人の慈悲の表れです。慈悲の心は、見えませんが、それをかたちに表したのが、この「形」であるといえます。「形」にはまることは、とても大事なことであり、それを通っていくことが、幸せにもつながっていくということであります。
私たちは、佼成会のサンガ、法友、法の仲間、友達、そうした中で修行させて頂いています。サンガの中で、病気になったり、事故に遭った方などがいますと、皆で祈願をすることがあります。お互いに幸せを祈り合ったり、願ったりすると、一人で祈願をするよりも、はるかに大きな効果、高い効果が得られるそうであります。一人で一所懸命に修行することも、とても大事なことには違いありません。しかし、サンガの中で修行していくことで、より大きな幸せを、いっぱい頂ける--そういう不思議な構造になっていると言われております。
サンガの中での修行は、「形」にはまることになりますけれども、最後は、その「形」も取り去っていくことで、社会の人たち、佼成会以外の方々と仲良くしていけるといえます。そのへんが微妙ではありますが、「形」にはまること、「形」を破ること、両方が必要な時があるのです。

『佼成新聞』(佼成出版社)より


この記事を誰かに伝えたいですか?