やくしんInterview

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教育は平和と発展の鍵 永遠瑠マリールイズさん(NPO法人「ルワンダの教育を考える会」理事長)

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「ルワンダ」と聞いて、民族対立や虐殺を思い浮かべる人は多い。なぜ、隣人同士が殺し合うような悲劇は起きたのか――。ルワンダに育ち、内戦を経験した永遠瑠マリールイズさんは、教育の欠如が問題と話す。祖国から遠く離れた日本の地で、「教育」をとおして祖国と世界の未来を考えるマリールイズさんの思いを聞いた。


【プロフィル】
永遠瑠マリールイズ(とわり・まりーるいず)
1965年、ルワンダ人の父親の赴任先であるコンゴ民主共和国に生まれる。93年、JICAの支援で福島文化学園にて洋裁の研修を受ける。翌94年、ルワンダに帰国。2か月後に内戦ぼっ発。同年12月、友人らの尽力で家族そろって再来日。2000年、NPO法人「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、キガリ市内に学校を設立。11年3月11日、在住する福島で被災し、原発事故を経験。以後、避難所や仮設住宅でお茶会を行なっている。14年、外務大臣表彰を受ける。


教育があれば……

――マリールイズさんが理事長を務めるNPO法人「ルワンダの教育を考える会」(拠点・福島)では、どのような活動をしているのですか?

ルワンダの首都キガリという町で、幼稚園と小学校を併設する「ウムチョムイーザ学園」を運営しています。現在、15教室で287人の生徒が学んでいます。農村や山間部の貧困家庭、路上生活をしている孤児など、授業料が払えない生徒も多く通っています。2009年に政府が中等教育の無料化を導入したことで、国民の教育への意識はだいぶ変わりました。しかし、他校では、初等教育を終了せずにドロップアウトしてしまう子どもがまだまだいることも事実です。

教育を受けていない彼らが職を探しても、結局また物売りなどの路上生活に戻ってしまう。私たちの学園では、ドロップアウトを防ぐため、給食や農業体験、生活相談、保護者との連携など、子どもたちが学ぶ意欲を失わないようにさまざまなサポートを行なっています。

夢を抱いて勉強する生徒たち、そして、学んだことを生かして未来を切り開いていく卒業生たちの姿を見ると、学校を建ててよかったと思います。しかし一方で、心が痛むのです。もっと早く、ルワンダに教育が普及していれば……と。

ルワンダと聞いて、多くの人が「ジェノサイド(大虐殺)」を思い浮かべるのではないでしょうか。

1990年から続いていた国と反政府勢力との衝突が、94年4月6日、大統領の暗殺を発端に激しくなりました。前日まで仲良く談笑していた隣人同士が、「ツチ・フツ」という戸籍上の民族の違いだけで、斧やナタを手に殺し合い、100日間で50万人以上が惨殺されたのです。

なぜ、このような悲劇が起きてしまったのでしょう。私は、国民に学ぶ機会がなかったからではないかと思うのです。教育は、思考し創造する力を養うと共に、協力する心を育(はぐく)みます。あの時、国民に考えて行動する力があれば、悲劇を防げたのではないかと思うと残念でなりません。


――教育が人を生かす、という考え方がとても重要なのですね。

私自身、あの悲劇を経験した一人です。内戦が始まってすぐ、戦火を逃れて隣国コンゴに避難しました。物資も食糧も不足し、コレラが蔓延(まんえん)する地獄のような難民キャンプで、私と家族を救ってくれたのは、日本で学んだ「ひらがな」でした。私は27歳の時、JICA(国際協力機構)の支援で、洋裁を学ぶ研修生として、日本の福島県の学校に留学していたのです。その時に覚えたひらがなで、ルワンダの現状と「たすけて」という文字を紙に書き、福島の友人たちにファクスを送ることができました。また、その紙を見た日本人医師から、通訳の声をかけていただけたのも幸運でした。


そして、94年12月、いただいたお給料から少しずつ貯めたお金と、福島の友人たちのサポートで、家族揃って日本に避難することができました。

文字が人を助けたとは、誰も信じないかもしれません。でも、自分が辿ってきた道をふり返ったとき、いつも学び得た知恵が助けてくれました。もちろん、多くの出会い、家族や友人に支えられていまがあります。でも、その縁を生かすも殺すも、知恵があるかないかです。だから、ルワンダの人たちにも教育を届けたい、そう願って今日まできました。


教室には夢がある

――ご自身の経験が、学校建設へとつながったのですね。多くの子どもたちが入学し、勉強に励んでいると思いますが、手応えは感じていますか。

2001年に教師4人、生徒21人の二教室が開校して、昨年で15年が経ちました。08年には、開校時に入学した生徒の内、18人が卒業し、全員が高校に進学しました。もとは内戦で心に傷を負い、路上で生活をしていた子たちばかりです。入学時、将来の夢を聞いたら、「大きくなるまで生きられるの?」と言っていた子たちが、いま、自分で仕事を見つけ、お金を稼ぎ、家庭をもって子育てをしている。自らの足で未来に向けて歩む力強い姿に、教育という選択肢に間違いはなかったと確信しています。

希望を失った子どもたちが、たった一か月学校に通うだけで、将来は教師になりたい、医者になりたい、と夢を語れるようになるんです。教室には、夢と希望があふれているんですね。わが子と一緒に学校に通って農業を学び、母親として子どもの学費を自分で稼ぎたいと家畜を飼い始めた女性がいます。仲間と協力して事業を始めた青年がいます。そうした一人ひとりのストーリーにふれるたび、ある言葉を思い出します。
「教育は平和と発展の鍵」
私の夢を応援し、二人三脚で歩んでくれた飯高千恵子(いいたかちえこ)さんとは、子どもたちには鍵をもたせてあげたいと、いつも語り合ってきました。その鍵を使って自分だけの扉を見つける。それがどんな未来に通じる扉かは分からない。けれど、すべての子どもに鍵をもつ権利があるのだと……。飯高さんは立正佼成会福島教会の方でした。彼女と、夫の飯高章友(あきとも)福島教会長さん(当時)のおかげで、NPOを設立することができました。本当に感謝しています。


〝当たり前〟こそ幸せ

――教育は本来、生きることに直結する大切なものなのに、日本では学校に行きたくないという子どもが多いようです。

学校は、共同生活をとおして助け合いの心を学ぶ場なのに、いじめや不登校、学級崩壊といった問題が山積み……。精神を病んでしまう先生もいるとか。悲しいことです。知らないことを知る、新しい世界を知る勉強は、本当なら楽しい時間であるはず。でも、親のために勉強している、親のために進学すると考えている子どもが、多いことに驚きます。

良い点を取れなかった悔しさ、努力して取れたときの喜び、子ども本人が味わう気持ちを、明日の笑顔のバネにしてほしい。学んだことを生きるすべにしていく手助けをするのが、親であり大人の役目ではないでしょうか。


――教育の機会を奪われている子どもたちが世界には大勢います。学べるだけで、とても幸せなのですね。

みなさん、家や車を買う時、20年とか30年のローンを組みますよね。それって、すごいことだと思いませんか? 30年間、命が脅かされることなく働けると、認められているんです。これは、平和だからこそですよね。いま、シリアにいる人たちは、一日の計画すら立てられないのです。それは、今日を無事に生き延びられるか分からないからです。

難民キャンプにいたとき、砲弾の飛び交う夜がとても怖かった。毎日神様に、夜が来ませんようにと祈りました。日本では、夜が来ればお風呂に入り、布団を敷いて寝ますよね。明日は必ず来るという安心感に包まれて。その〝当たり前〟が、もし一瞬で無くなったらと考えたとき、一日一日をもっと大事に生きようと思えるのではないでしょうか。

自分の周りに大切な人がいる、今日も愛する人に会える、それは奇跡のようなことです。当たり前の日々が何よりの幸せだということに、私は感謝を忘れずに生きていきたいと思っています。

命があることが何より大事だというシンプルな真実を、身をもって実感していらっしゃるのが、東北や熊本で震災を経験された被災者の方がたです。私たちのNPO法人では、東日本大震災の直後から避難所や仮設住宅を回って、みなさんとルワンダコーヒーを飲むお茶会を続けています。あの内戦ですべてを失った私を、希望の道へと導いてくれたのは、福島との縁です。福島の人たちが第二の命をくれたと言っても過言ではないです。恩返しとは大げさですが、福島で生きる一人として、みなさんが楽しく安心して暮らしていけるように、これからも私にできることを続けていきたいです。


『やくしん』2017年8月号 (佼成出版社)


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