急がず、休まず

道を歩いているとき、石につまずいたとします。その反応の仕方はそれぞれです。自分がうかつであったと反省する人、石に腹を立てる人、石をそこに置いた人間を恨む人・・・・・。一つ一つの出来事をどう受け取るかによって、人生は良い意味でも、悪い意味でも大きく変わるといわれます。物事をどのような目線で見ていくことが大事なのか。庭野日鑛・立正佼成会会長による智慧と慈悲のメッセージを贈ります。

検索


急がず、休まず

幸せの本質

  • 感謝

幸せの本質とは、どういうものなのでしょう。日本では、明治以降に入ってきた西洋文化の幸せ論を学校教育の中で教え込まれてきたと言ってもいいわけです。その幸せ論は、足りないものをリストアップして、それを手に入れるのが幸せというようなものでした。
学校で理科が苦手な人は、理科を勉強しなさい、努力しない人は愚かだ、自分の得意でないものを克服しなければ、幸せになれない、というような教育を受けてきたわけです。足りないものをフォローして、人並み以上にならなければならないということです。
学校教育だけでなく、家庭の中においても、同じようなことが教育されてきました。その延長線上に、職場、会社があり、そして日本の社会ができてきたわけです。
世の中が、この教育方針に100パーセント従い、ほとんどの人が西洋文化の幸せ論を教え込まれてきました。そして、この幸せ論に染まって一生を過ごしている人がほとんどとも言えます。今の日本は、そういう流れできたわけであります。
しかし、本当の幸せは、努力をして手に入れるものではないということであります。
幸せの現象というものを考えてみますと、皆さま方に、「幸せの現象を見せてほしい」とお聞きしても、おそらく、これが幸せの現象だと言い切れる人はいないのではないかと思います。ですから幸せの現象は、もともとこの世に存在しないと言ってもいいくらいなのです。
しかし、幸せという言葉は、辞書を引けば出てまいります。幸せが存在する時があるからであります。では、それはどういう時なのでしょうか。ある時、ある条件のもとで、幸せが存在する時がある--こういうことであります。
個人的に、私が幸せだと思った時、そう思った私にのみ、幸せが生まれるということです。例えば、喉(のど)が渇いて、お茶を一服頂く。お茶を頂いて、幸せだと思った。その瞬間に、その人にのみ、幸せというものが生まれたと言うことができるわけです。
ですから、幸せという現象は、存在しているものではなく、探すものでも、手に入れようと努力するものでもない。幸せは、感じるもの、気づくものなのです。

『佼成新聞』(佼成出版社)より


この記事を誰かに伝えたいですか?