急がず、休まず

道を歩いているとき、石につまずいたとします。その反応の仕方はそれぞれです。自分がうかつであったと反省する人、石に腹を立てる人、石をそこに置いた人間を恨む人・・・・・。一つ一つの出来事をどう受け取るかによって、人生は良い意味でも、悪い意味でも大きく変わるといわれます。物事をどのような目線で見ていくことが大事なのか。庭野日鑛・立正佼成会会長による智慧と慈悲のメッセージを贈ります。

検索


急がず、休まず

1パーセントの人たち

  • 変化
  • 感謝
  • 病気・障害
  • 災害

世の中は99パーセントの人と1パーセントの人に分けられると学んだことがあります。100パーセントの人が、学校教育や社会に出て働く中で、戦うこと、他の人より抜きんでること、人と争うこと、比べることを教わります。しかし、1パーセントほど、その教えから外れる人が存在するのです。99パーセントの人とは違う価値観で生きているということです。
その1パーセントの人たちは、大病をした、大事故に遭った、災難、トラブルに巻き込まれたということを体験した人たちであります。そうしたつらい思いをしたことによって、普通に生活できることがどれほど幸せかを感じることができたわけです。
40年ほど前、私は手首を骨折してギプスをはめられ、洋服をなかなか着られなくて、和服で過ごしたことがありました。私の場合、たまたま左手でしたので、右手が利き腕ですから、字を書くにしても不自由はなかったのですが、左手が使えないということは、大変不自由でした。それが治ったときには、普通に手を使えることがいかに有り難いかを、しみじみと分からせて頂きました。
このように病気や事故、災難を通して、幸せの本質に気づいた人が、その1パーセントの人々だということです。その人たちは何かを手に入れなくても幸せを感じられるようになったのですから、ものすごく幸せで、ラッキーな人といってもいいということです。
その意味で、病気や事故、災難、あるいはトラブルは、不幸などではなく、幸せになる前半分(まえはんぶん)だったといえます。
大病をしたことと、そこから回復して幸せを感じられることは、一つのセットになっているのです。私たちは困ったこと、悲しいこと、いろいろなことがあって、初めて幸せを感じられます。
戦うこと、他の人より抜きんでること、人と争うこと、比べることをせず、ただ普通に歩けて、食べられ、話ができる、そうした全てが有り難くて、手を合わせることができる。そういう人が1パーセントいるということです。
もちろん1パーセントですから、ほんの限られた人ではありますが、そうした中に私たちも今、仏さまの教えを頂いて、仲間入りをさせて頂いているといえるわけです。

『佼成新聞』(佼成出版社)より


この記事を誰かに伝えたいですか?