生きる力の源泉

生きるために必要な力とはなんでしょうか。その力はどこからわいてくるのでしょうか。 このコーナーでは、算命学カウンセラーの中森じゅあんさんがコーディネーター役になり、各界で活躍されている方々をゲストに迎えて、私たちが「本来的に生きる意味」を再確認し、「どう生きるか」をあらためて考えていきます。

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生きる力の源泉

中森じゅあん×加島祥造 対談【前編】 社会ルールの中で自由を味わう

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第10回は、無為自然の道を説いた老子についての著作を数多く発表するほか信州・伊那谷で独居し人生を哲学する詩人、墨彩画家の加島祥造さんがゲストです。

プロフィル
加島祥造(かじま・しょうぞう)
1923年、東京生まれ。英文学者、詩人、墨彩画家。早稲田大学英文科卒業。カリフォルニア州クレアモント大学院留学。信州大学、横浜国立大学、青山学院女子短期大学に勤務。フォークナーをはじめ、数多くの翻訳著書を手がける。「老子」の自由口語訳『タオ ヒア・ナウ』、全訳を収めた『タオ――老子』など老子について数多くの著作を発表し続ける。ベストセラーとなった詩集『求めない』ほか著書多数。

中森じゅあん(なかもり・じゅあん)
日本算命学協会代表。バイオシンセシス・ボディサイコ・セラピスト。「灯(とう)の会(え)」主宰。ワークショップ、セミナー、個人セッション、講演、エッセイやメッセージの執筆など、多岐にわたる分野で活躍。幅広い女性層から支持を得ている。著書に『中森じゅあんの算命学入門』(三笠書房)、イギリス、アメリカ、中国でも翻訳された『天使のメッセージ』シリーズ(大和出版)は世界で愛読されている。『天使の愛』(中公文庫)など多数。


幸せは気づきがあってこそ

中森
ご自宅から眺める伊那谷の自然は絵のようで、季節の変化はさぞ味わいがあるでしょうね。

加島
特に季節の移り変わりは、住んでみないとわかんないです。それがネイチャーのおもしろいところ。変化が見られることは人を幸いにするよ。

中森
変化したい。人はそう思いながら変化を怖がってしまうことがありますが、変化する怖さもそのまま受け入れて向き合っていくことは大事だと思いますが。

加島
変化を恐れるのではなく、変化に勇気を感じる。あるいは、変化することに感傷的にならないで変化に感動する。変化はどうとるかで変わってくるね。

中森
私は変化が大好きで、30代の頃から年をとったら樹木がいっぱいある自然の中の庵に住みたいと思っていたんです。とろこが現実は…。

加島
樹木がいっぱいあるって、ここみたいな所じゃないか。僕はここに林住期に近いときに逃げてきたんだよ。

中森
羨ましいです。古代インドでは人生を「学生期、家住期、林住期、遊行期」と四つの時期に分けて考え、社会人の時代が家住期ですから、その後の林住期以降は自分のために与えられた時間といえますよね。

加島
林住期のもうひとつの意味は自由になること。to be free(自由なこと)あるいはto make yourself free(自分自身を自由にする)。それが根本にないと林住にならないんだ。だけど、フリ―になると口では言えても、とてもできない。この年になったって僕はまだフリ―じゃないよ。not completely (完全ではない)。それでも、自分の中心的な部分と、自分を取り巻く環境面のどちらがフリ―になったかと言えば、内的なフリーダムのほうが増えてきたね。

中森
外と内の両方でフリーとはいかないのですか?

加島
片方だけのフリーダムはあり得ない。両方だけど両方が完全ということはあり得ない。林住期に入っても金がなけりゃ食えやしないんだから物質的なものに必ずとらわれる。僕は伊那谷で独り住まいして、孤高詩人というようなことが世間で知れて、僕自身、詩の中で、それを書いてるわけだけど、現実の生活は誰か彼かヘルプしてくれて生活してるんだよ。ここにいると林住期の生き方に近いように見えるかもしれないが、とんでもない大嘘だ(笑)。

中森
ありのままを吐露してくださって、納得です。でも、自然の中で、名菓を召し上がりながらお茶をたしなまれる。そんなところに心豊かで贅沢な時間の流れを感じますね。

加島
僕はろくでもない茶碗で飲んでいるけど、うまさを感じるよ。お茶のうまさを味わうのが目的だから、それが得られればいいんだね。贅沢な茶器をそろえてもうまいお茶が飲めるかどうか。フリーダムの部分が多くなければ、どんなに贅沢していても本当のエンジョイにはならない。本当の贅沢って中身だもん。それをエンジョイできるかどうかは自分で見つけることよ。

中森
どんなに環境が整っていても、心がエンジョイしてなければ、とらわれてしまいますね。

加島
逆に、いい環境になればなるほど心が自由にならないかもしれない。金持ちを見てごらんよ。

中森
私はじつを言うと、お金持ちでなくてよかったナーと思うことがよくあります。お金はないよりも、あるほうがいいとは思いますけれど、ないがためにやむを得ず気づくことがあるので。何だかそれがうれしくて、なくてよかったナァと思うんです。

加島
逆に言うと、求めないと気づくんだよ。ないほうがよかったと思う?

中森
心からそう思います。そんな時は、ヘンな話なんですが、幸せで胸がいっぱいになってきます。

加島
ないほうがよかったと思うのはアウェアネス(自覚)、気づきだよ。アウェアネスが起こるのは、自分が社会的基準の逆の面にあるときなんだよ。環境的に幸福だったら別に意識しなくたって「おれはハッピーだ」って言っていられるだけだね。でも、そういう環境でないときのI think I am happier than other people(私は他の人よりも幸せだと思う)っていう感情は自分の内側の気づき。それがなくて、こんな自然の中に一人でいたら、そりゃ、ちょっとつらいよ。

中森
そんなときには、都会に逃げ出したくなりませんか。

加島
そういうつらいときもあったからさ。林の中の林住期の一人と同じような経験も少しはあったよ。誰も来ないときもあるし、雪に閉じ込められて、僕は車使わないからどうしようなんて思ったりしたときもある。そのときでもね、あんまり恐怖にとりつかれなかった。英語でpanic stricken(ろうばいした)って言うけど、そういうとき、カーッとなって恐慌の中でどうしようどうしようってなるじゃん。中森さん、ならないような顔してるけど(笑)。

中森
加島さんだってそうでしょう(笑)。そんな内なる動きを結構楽しんでいらっしゃるのではないですか。

加島
いや違う。僕は臆病なんだよ。

中森
えーっ。外側だけ拝見すると、自由、勝手で陰性陽性で言えば陽性にお見うけしますけれども。

加島
僕、隠棲。

中森
アッハハハ。ダジャレがでました。

加島
だってね、陽性の人間だったらここへ来ないで東京で活動してるよ。僕は都会にいた中高年のときは元気で、自分の中の陽性を盛んにだそうとしてた。亭主や父親、大学教授あるいは翻訳家を一人前の社会人として務めようと思ったわけ。だけど、55のときにやんなっちゃったんだよ。
元気だったけれど、心が固くなり始めていた。それに気づいたのは、宇宙の働きのままに生きることを説いた老子の思想(タオイズム)に六十すぎて出合い、学んだときからだよ。老子は「固いものは死につながり、柔らかなものは生命につながる」って言う。人生のあり方は○△□と変化していくんだね。

中森
○△□と言えば江戸時代の禅僧仙厓の禅画が浮かびます。

加島
それを見て思いついたのだけれど、人は生まれたときは○で、成長して学校で成績なんかで競争を教えられたりするにつれて△にとがりだし、社会に出て組織や形式や地位にはまり込んで□になっていく。□の中に古いと書けば固いという字になるように、中高年になり僕も心が硬化していたんだね。そのときにね、中森さんがよく知っている精神世界のインドの連中にかなりのめり込んだの。大学の教師をやっていて社会的にもまあまあの地位にいて、収入もあって、なんの不足もないようなところにいたんだけど、急にラジニーシ(バグワン・シュリ・ラジニーシ=インドの宗教家、哲学者)を読み始めたんだよ。

中森
何か直接的なきっかけがおありだったのですか。

加島
何だかわからない。自分の中に精神的なものを求めるような事件が起こったわけじゃないんだ。シンクロニシティ(非因果的なかかわり)だよ。何らかの原因は必ずあるはずだけれど、その心理的原因は今でもつかんでないよ。
そして、ラジニーシは20冊ぐらい、それからクリシュナムルティ(ジッドゥ・クリシュナムルティ=インドの宗教家、哲学者)、グルジエフ(ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ=ロシアの神秘思想家)と読んだよ。

中森
グルジエフはすごいと感じますが、なかなか難しいですね。

加島
グルジエフは神秘主義者みたいな部分もあるけど、人間の可能性について鋭い内観力をもってるよ。

中森
私は若い頃は、クリシュナムルティを読んでいると、心が静かになりましたけれど。

加島
心を静かにするだけじゃないか。クリシュナムルティはインドのかなりいい家庭に育って、エリートコースのトップをいきながら「そんなもの忘れろ」なんて言う。どうやって生きるのかという部分がない。「心をクリアにしろきれいにしろ」「無にしろ」なんてことばっかり言ってる。僕は30歳の頃、カリフォルニアの大学院に留学していて、そのとき書店で一冊買ったのがクリシュナムルティの初期の本『The first and last freedom』だった。その当時、僕は全然、ピュアな人間じゃなかったからどんなに読んでもわからなかった。

中森
日本語訳のタイトルが『自我の終焉―絶対自由への道』という本ですね。

加島
その本をそれから40年、持って歩いて今も家にあるけど、5年ぐらい前にちょっと読んでみたら、なんだと思ったんだよ。俗的な欲望をすべてなしにしてクリアとかピュアになる。それがクリシュナムルティの最後のフリーダムなんだな。

中森
クリシュナムルティは純粋で、人間離れした聖人のようですね。

加島
聖人に近いけれど、聖人も否定してね、もっとピュアなアウェアネスだけの存在になれという意味のピュアなんだよ。俗世とは関係のないようなね。



中森
アウェアネスとは、気づきよりもっと深い意味がありそうに感じるんですが。

加島
その話は大変おもしろいところでね。僕はアウェアネスというのは悟りに近いと思っている。でも、悟りとも違うんだな。アウェアネスは普通の人が、もてるもんなんだよ。だから、目覚めという言葉と近いかなという気はするの。

中森
頭で考えたり、訓練したり、計画したりじゃなくて、今の瞬間に起こるように思います。

加島
そうなんだよ。今の瞬間、here now(今ここ)しかないな。それと全体のあり方の両方が総合されたのが人間だよな。そういうことを一人でいると、わりあいと自覚できるところがあるね。

中森
人間関係のしがらみがあったり、仕事が山積していたり、ハードで時間に追われていると感じる暇がないというか、つい大切な内よりは外の方に気がいってますものね。

加島
感じるのはあくまで内側だからね。社会系の中年のときは外にばかり気をとられてしまう。名声やお金、競争にこだわりすぎたら大切なものを失うよ。社会的制約の中で柔軟性がなくなり心が固くなっている。だけど、アウェアネスもなく、みんな食ったり飲んだりしてるんだな。それでは弾力のある心に戻れない。

中森
意識的に生きなければ、自分の内側にある、真なるエネルギーを見失ってしまうんですね。都会でアクセクしている私の修行は、そこにあります。


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