生きる力の源泉

生きるために必要な力とはなんでしょうか。その力はどこからわいてくるのでしょうか。 このコーナーでは、算命学カウンセラーの中森じゅあんさんがコーディネーター役になり、各界で活躍されている方々をゲストに迎えて、私たちが「本来的に生きる意味」を再確認し、「どう生きるか」をあらためて考えていきます。

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生きる力の源泉

中森じゅあん×上田紀行 対談【前編】 愛されるより愛する人に

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第7回は、学生からの授業評価が第1位で東工大教育賞最優秀賞を受賞する一方、マスコミや講演などでも活躍する東京工業大学教授の上田紀行さんがゲストです。

プロフィル
上田紀行(うえだ・のりゆき)
1958年、東京都生まれ。東京大学大学院文化人類学専攻博士課程修了。愛媛大学助教授を経て、東京工業大学教授。86年よりスリランカで「悪魔払い」のフィールドワーク調査を行い、「癒し」の観点を提示、「癒しブーム」を巻き起こす。著書『生きる意味』(岩波新書)は2006年度大学入試出題数第1位。ダライ・ラマとの対談を出版し、日本仏教の復興にも力を注いでいる。『がんばれ仏教!』(NHKブックス)、『生きる覚悟』(角川SCC新書)ほか著書多数。

中森じゅあん(なかもり・じゅあん)
日本算命学協会代表。バイオシンセシス・ボディサイコ・セラピスト。「灯(とう)の会(え)」主宰。ワークショップ、セミナー、個人セッション、講演、エッセイやメッセージの執筆など、多岐にわたる分野で活躍。幅広い女性層から支持を得ている。著書に『中森じゅあんの算命学入門』(三笠書房)、イギリス、アメリカ、中国でも翻訳された『天使のメッセージ』シリーズ(大和出版)は世界で愛読されている。『天使の愛』(中公文庫)など多数。


人生に用意されている「神さまの穴ぼこ」

中森
上田先生は若い頃、スリランカの農村での「悪魔払い」をフィールドワークされましたね。村人総出で「悪魔祓い」の儀式を行い、病人を治してしまう。一つの医療行為ですが、その民俗を通して「癒し」という考えを日本に紹介されました。そのお話が聞きたくて私は、多分まだ20代の頃の先生のお話を聞きにいったことがあるんですよ。

上田
悪魔払いに歩いたのは30歳ですから、30代だったと思いますよ。その頃の僕は、怖いもの知らずの青年ですよね(笑)。

中森
イキイキとパワフル。その頃と、雰囲気はお変わりありませんね。

上田
年相応になっていかなければと思うのですが。

中森
内側にあって湧きあがるものがにじみ出ているのですから、決して変えようなどとされずに、あるがままでいらしてください。

上田
そうですか。今日は何でも引きだしていただければと思います(笑)。


中森
講演会などで接する先生はすごく明るくてメチャメチャおもしろい方なので、その成育歴を知ったときは正直びっくりしました。『かけがえのない人間』(講談社新書)というご本に、よくぞ思いきって、トコトンお書きになりましたね。

上田
一度書くことによって、幼少期の話は終わりにしないと同じことを言ってしまいそうで。それでもありのままに書いたのは我ながらすごいですね。

中森
そのご本の中で、心に残った一つをあげますと、人生には「神さまの穴ぼこ」が用意されている、ということです。とてもいい喩えですね。大半の人は、何かを決めるとき、たとえば就職ならば人気の企業を志望するとか、世間の価値観や基準に従って機械的に選択してしまいがちです。そこには自分の意志が介在しているようでしていない。そうした行動原理を破壊するために、神さまは穴ぼこを準備していると。

上田
病気になったり、家族関係が悪くなったり、人生にはいろいろな穴ぼこが待ち構えています。その穴ぼこに落ちてみて、私たちは初めて、人生の意味を考えたり、苦悩する中で信頼できる友達に出会ったり、これからどう生きていくかの指針を得たりするんですね。かけがえのないものが何かと気づかされるわけです。穴ぼこを恐れ、近づかないように生きていても、誰もが人生のなかで何回か穴ぼこに落ちてしまう。そして、のちになって、「あれは神さまが掘ってくれた穴ぼこなんだなあ」と気づくんですね。僕自身、神さまの用意した穴ぼこにはまればこそ今の自分があると思うんです。

中森
ふり返るまでもなく、私の人生にも、大小さまざまな「穴ぼこさま」が掘られていましたね。これからも、あることでしょうが。先生が初めて穴ぼこを意識されたのはいつ頃なんですか。

上田
大学一年のときですね。ノイローゼになり生きる元気がなくなってしまい、カウンセリングに通うようになったんです。顔はニコニコしていても心は寂しさの極限でした。その穴ぼこの中で自分の歩みをふり返ったんです。自分では幼少期のことにとらわれていなかったのですが、さめざめと「そういうことがあったな」っていうことに気がついたんですね。

中森
お母さまは売れっ子の翻訳家としてご活躍されたユニークな存在感のある方ですが、有能で個性の強い母をもった先生にはどのように映っていたのでしょうか。

上田
まあ激しい人ですね。何事も曖昧なことが大嫌いで怒るときの勢いも激しいんですね。組織に属さず、自分の決断で人生を動かしていく上では大切な資質ですが、母との一対一の関係では曖昧な領域がないということは子どもにとっては逃げ場がないわけです。
僕が2歳半のときに父が失踪してしまい、極貧の生活の中で、頼れるのは母だけでした。それだけに母の機嫌がとても気になりましたね。それで幼少期からいい子にしていたんですが、成長するに従って、ものの考え方にしても母の模造品のようで自分という存在は浸食され、抑圧する母に対する憎しみが噴出するようになってしまったんです。高校時代には「あんたと別れるためなら、僕は外で人の一人や二人ぶっ殺したい」と言うほどでした。

中森
再婚もされず、必死に働いて育ててきたわが子に、そんなことを言われては、どんなにしっかり者のお母さまでも、どんなにかおつらかったでしょうね。

上田
あまりに親不幸な一言だったと思います。それにしても、そんなに母親が嫌なら大学生にでもなれば家を出て当然ですが、僕は母親からお小遣いをもらい、学費もだしてもらい、母親の作るご飯を食べながら「おまえのせいで、俺はこうなってしまった、どうしてくれる」とか毎日言ってたわけです。

中森
そんな息子を、お母さまはしっかりと受けとめていらしたんですね。愛の強さです。それと、先生が思いや感情を抑圧したり、ごまかしたり、いい子をしたりしないで、ぶつけたり、表現し続けることができたのは、すごくよかったですね。でないと、あとあと、もっと大変になったと思いますよね。



消えることのない幼少期の体験

上田
その母は僕が20歳になったとき、「もう二人、一緒にいないほうがいいわ。家族を解散しましょう。私は昔から住みたい所があって、もう下見してアパートも借りちゃったのよ」と言って、ニューヨークのマンハッタンに移住してしまったんです。

中森
カッコいいですねえ。でも、びっくりされたでしょうね。

上田
「今、私が47歳であなたが20歳。5年後にはあなたのことを頼りたくなってしまうかもしれない。今だったら元気があるわ。だから今しか行くときはない」って、タンカをきって行っちゃったんです。そのとき、「あなたのために我慢をする人生ではなく、もう私は生きたいように生きるんで、あなたも生きたいように生きなさい」と言ってくれた。その生き方が40代になった自分の人生に求められているって感じましたね。
その母との葛藤のほか、幼児虐待を受けた話を本に書いたんですが、自分ではそんな過酷な体験をしたとはあまり思ってないんですよね。

中森
私のクライアントにも、厳しい幼少期をすごした方は決して珍しくないので、よくわかります。それが日常だったんですものね。

上田
虐待は、父と離婚した母が勤め始め、住み込みのお手伝いさんがきたことによるんです。母から「昼間、私がいないときは、おばさんをお母さんだと思って、よく言うことを聞くのよ」と言われ、おばさんも僕を可愛がってくれました。
ところが、そのうちおばさんに「ママと私とどっちが好きなの?」と聞かれるようになり、「おばさん」と答えれば「そうよねえ」とおいしいお菓子をどんどんだしてもらえるのですが、「ママが好き」って言った途端にぶん殴られたりするようになったんです。おばさんは癇癪持ちで、怒りだしたら止まらず手をあげるんです。
その日によって機嫌が違うので、幼稚園からの帰り道、家から300メートルくらいの所の竹藪の角までお友達ときて、そこから一人になると、僕は「今日のおばさんはご機嫌がいいかなあ、悪いかなあ」と自動的に考え、帰っても機嫌が悪くならないように敏感に反応していました。
昼間はおばさんを頼りにするしかないので「おばさんが好き」と言って、母親が帰ってくるとママにべったり。そんな母に甘える僕を見て、おばさんは寂しい気持ちになり、その反動が翌日、幼稚園から帰ってくる僕にくるわけです。何かすごいサイクルを繰り返していたわけですが、あとから考えるとなんで母に「おばさんに殴られたの」って言わなかったのかという話ですよ。みんなの顔を立てているというか。
その過去を僕は虐待だとはとらえず、「俺の人生、こんなものだったなあ」と思っていたんですが、人生を幼少期から語るというワークショップで話したら、「それは幼児虐待でしょ」と言われたんです。

中森
虐待ですね。裏返せば、幼い先生が可愛くて独りじめしたかった。先生の一番好きな人でありたかった。孤独なおばさんのある種の愛の対象だったのでしょうね。そんな感じはしました?

上田
いや、そのときは自分が我慢すればって。それが不条理だとも子どもは思ってないわけです。

中森
でもね、それをお母さんに言わなかったのはお二人への敏感な優しさだったと思いますけど。

上田
それでもネガティブに見える体験の影は消えませんでしたね。人の機嫌が異常なほど気になるんです。大学生のとき、デートで映画とか観に行くじゃないですか。それがつまんない映画だったりして、そのあとお茶をしながら彼女がちょっとでも黙ったりすると「こんな映画に誘っちゃったんで彼女は怒っているに違いない」と不安のかたまりになってしまう。実際は単なる沈黙なのに、「ごめんね、あんなつまんない映画に誘う僕って最低だよね」とひとりでどんどん自滅していく(笑)。

中森
何でも「自分がいけないんだ」と思い込んだり、自分に責任があるように感じてしまうんですよね。

上田
そうそう。30代、40代になっても、一緒にいる人に嫌われたら終わりだっていうのがすごい染みついてました。相手が黙ったりするときは、今だって不安で、嫁さんが黙ったりするとき、彼女に他意はなくても「この人、僕のこと、嫌いになってるんじゃないか」というギアが入るんですよ。そうすると不安になっていく。ダライ・ラマと対談したりもしている上田先生にして、このていたらくですから、同じような悩みを持っている皆さん、どうか安心してください(笑)。まあこのごろはその不安との付き合い方もだんだん慣れてきましたが。

中森
幼少期に感じた「この人に見捨てられたら大変だ」という潜在意識下の不安や恐怖を投影するんですよね。



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