いのちの響き

世の中には、いのちを支える仕事に就いている人がたくさんいます。また、限りある自分のいのちと向き合うなかで、輝きのある人生を歩み始めた人もいます。日々 、どういのちと対峙しているのか。その思いを聞きました。

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いのちの響き

受刑者の心に光を届けたくて 川越 恒豊さん (清源禅寺住職)

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川越 恒豊(かわごえ こうほう)
1941年、富山県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業後、曹洞宗清源禅寺住職。地元ラジオ局のパーソナリティーを経て、79年から富山刑務所で受刑者向け全国初の自主ラジオ放送「730ナイトアワー」のパーソナリティーに抜擢。以来33年間、ボランティアで活動を続ける。保護司、家事調停委員、富山刑務所篤志面接委員及び教誨師としても活躍する。











──受刑者向けの自主放送「730ナイトアワー」について教えてください。

これは、毎月一回午後七時半から九時まで、富山刑務所のスタジオで受刑者向けに生放送されるラジオDJ番組です。受刑者からのリクエストをもとに十五曲ほどをピックアップし、本人のコメントと共に曲を紹介します。

この番組がスタートしたのはいまから三十三年前。当初、機材は限られたものしかなく、リクエスト曲もレコード盤をあらかじめ録音してくるなどの対応に追われていましたが、現在ではUSENさん、北日本放送さんの協力を得て、リクエストはすぐに選曲できるようになり、二人の女性アシスタントが加わるなど、番組の中身も充実してきました。

そして、この番組のこだわりは、なんといっても生放送だということ。前もってスタッフと打ち合わせすることはありません。いわゆるぶっつけ本番なのですが、これがまたいいんです。

受刑者はこの放送が始まると、皆さん耳をそばだてるようにして聞いてくれます。それは私たちが“生の声”で語りかけるからだと思うのです。彼らにとって、この一時間半は自分の人生を深く見つめる貴重な時間。ある人は正座をしながら、ある人は直立不動のまま、番組を楽しみにしているというのです。私は、刑務官からその様子を聞かされたとき、彼らの心に本音でぶつかっていきたいと思いました。


番組には毎月八十通ほどのリクエストとコメントが寄せられますが、その全部を紹介できるわけではありません。番組で紹介できなかったコメントにも目を通すのですが、彼らの思いが行間からにじみ出てくるのです。「親にはいつも心配ばかりかけてきました」「母の手料理の味をいまでも思い出します」「母がいつも傍にいて優しく手を差し伸べてくれた姿が懐かしく思い出されます」。父母への思い、わが子への思い、悔恨の叫び……。これまでの人生を振り返りながら、いまを必死に生きようとしている。そんな彼らの真摯な姿勢にふれると、少しでも力になりたいと、居ても立ってもいられない気持ちになります。


──保護司や家庭裁判所の調停委員、教誨師もされているそうですね。

おそらく心のどこかに、社会に何か恩返ししたいという気持ちがあるからなんでしょうね。私はもともと体が弱くて、幼い頃、大病を患ったのですが、奇跡的に命をとりとめたのです。そんな経験もあって、何か大いなるものに「生かされている」という感覚がどこかに芽生えてきたようです。いつしか、世のため、人さまのために生きたいと、願うようになりました。

数年前のことですが、「730ナイトアワー」で紹介されたことのある、一人の受刑者から、「母のためにお経をあげてほしい」と依頼されたことがありましてね。彼はお経が終わるやいなや号泣しました。そして、ポツリ、こう言うのです。「天ぷらを見ると、どうも箸がすすまないんです」。彼は天ぷらを見るたびに、亡き母のことを思い出していたそうです。

彼が小学生の頃のことです。父親は酒を飲んでは暴れるのが茶飯事で、母親としょっちゅう、もみ合いのケンカをしていました。ある日のこと、酒に酔った父は、母の髪の毛をつかんで引きずりまわしたあと、激しく突き倒したそうです。母親はサイドボードに強く頭を打ち、後頭部から血を流しました。視神経が切れてしまったようで、両目の視力を失いました。父は逃げるように出奔し、母子の生活が始まったのです。

母親は彼のためにと、手作りの料理をなんでもこしらえてくれたそうです。しかし、一つだけ作れないものがありました。それは彼の大好物の天ぷらでした。揚げ物料理だけは、引火する恐れがあったため、目の見えない母親にはどうしても作れなかったのです。それでも、彼はわがままを言って何度も「天ぷらが食べたい」とせがむのですが、母親は「ごめんね。天ぷらはもう作ってあげられないの」と泣きながら謝るばかりだったそうです。


そんな母親の気持ちは彼の心に響くことはありませんでした。やがて彼は非行に走り、いつしか暴力団の世界へ足を踏み入れてしまったのです。そして、流れ着いた先が富山刑務所でした。

「なぜ、あのとき母の思いが分からなかったのか。私は悔しくてたまりません。暴力団に入り、何一つ親孝行できないまま母は他界してしまいました。先生、私はいま、母に心から謝りたいんです。いまからでも遅くはありませんか?」

そう尋ねられ、私はすかさずこう答えました。「遅いことはない。きっとあなたの思いはお母さんの心に届いていますよ」。それから一か月後、彼は出所していきました。その表情は実に晴れやかでした。そんな彼から最近、嬉しい便りが届きました。その文面からは、新しい職場で嬉々として働く彼の姿が浮かんでくるようでした。

その手紙を読みながら私は思いました。人は皆、必ず生まれ変われるということを。人は、誰しもこの世に生まれてきて本当に良かったと思える人生を送りたいと願っています。人生捨てたもんじゃないんです。

私はこの放送を通して、これからも精いっぱい受刑者の皆さんに心からのエールを送り届け、一日も早い社会復帰をと願ってやみません。

『やくしん』2012年10月号 (佼成出版社


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