いのちの響き

世の中には、いのちを支える仕事に就いている人がたくさんいます。また、限りある自分のいのちと向き合うなかで、輝きのある人生を歩み始めた人もいます。日々 、どういのちと対峙しているのか。その思いを聞きました。

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いのちの響き

私を信じてくれる人がいれば、強く生きてゆける 藤井 輝明さん (保健科学研究所所長、医学博士)

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藤井 輝明(ふじい てるあき)
1957年、東京都生まれ。中央大学、千葉県立衛生短期大学、筑波大学大学院、名古屋大学大学院を経て、熊本大学医学部教授、鳥取大学大学院教授などを歴任。現在、「ふれあいタッチング交流」を展開。著書は『運命の顔』(草思社)、『てるちゃんのかお』(金の星社)など多数。






──全国各地の小・中学校、高校などで「ふれあいタッチング交流」という授業を展開されているそうですね。どのような授業なのですか。

私には、ご覧の通り、顔の右半分に「海綿状血管腫」という大きなあざがあります。これは、血管壁にできた良性の腫瘍なので、うつる病気ではありません。ましてや遺伝する病気でもありません。とはいえ、見た目からわき起こる違和感なのでしょう。初めて私を見ると、皆一様に驚き、こわごわとした表情を浮かべます。そのとき、言葉を尽くして、「いじめはよくない」「人を差別するのはやめよう」と訴えるのではなく、私と実際にふれあって、あざにタッチしてもらって、心に響く何かを感じてもらう授業。それが「ふれあいタッチング交流」です。

子どもたちは、初めのうちはおっかなびっくりなのですが、しばらくすると打ち解けた雰囲気になり、心が通じ合うようになるから不思議です。頃あいを見て、「このあざに触ってみたい子はいるかな?」と投げかけてみると、子どもたちは目を輝かせながら、「触ってみたい!」と連呼するのです。そして、私のあざに触った瞬間に「シュークリームみたいにふわふわしている」「赤ちゃんのお尻のように柔らかい」「おまんじゅうみたい」と口をそろえるのです。

このように、子どもたちの感性はみずみずしくて純粋です。人と違うということは、決して恥ずかしいことではありません。私たち一人ひとりは、その人にしかない、かけがいのない宝を必ず宿しています。それは誰にも真似することのできないチャームポイントなのです。明るくて活発な子、大人しくて心の優しい子、思いやりのある子……。まさしく、“みんな違って、みんないい”のです。

ふれあいタッチング交流は、お互いのいのちの個性を認め合う大切な授業です。この活動は、今年で十年め。訪れた学校は、千五百校あまり。十万人もの子どもたちとふれあいを重ねてきました。

──どんなにつらいことがあっても、自己肯定感を高めることができたのはなぜですか。

つらいこともたくさんありましたが、いまこうして自分があるのは、両親の限りない愛があればこそです。

特に、母親は助産師・看護師として多忙でしたが、たくさんの愛をこの私に注いでくれました。

私が小学校に入学して間もないころ、いじめっ子にバケモノ扱いされたことがありましてね。心を許せる友だちが一人減り、二人減り、学校に通うのが嫌になるくらい、落ち込んだ時期がありました。

そんなとき、母親は私のことをぎゅっと抱きしめながらこう言ってくれたんです。「あなたの顔は宝物よ」と。そして、次第にいじめがエスカレートしてくると、今度は子どもを守れると確信できる私立の小学校を探しては、新学期の編入試験に備えて猛勉強させてくれました。

そして、私が家にこもりがちにならないようにと、絵画やバイオリン、そろばん、スイミングスクールなど、あらゆる習い事を経験させてくれました。しかも、ただ私に習い事をさせるだけではなく、一緒にレッスンを受けてくれたんですね。いま思うと、母は後ろ姿で“生きる素晴らしさ”を示してくれたのかもしれません。

そんななか、たった一度だけいっそのこと死んでしまいたいと思ったことがありました。それは、就職活動でのことでした。

私は、大学の経済学部に進み、将来は銀行マンを目ざしていました。顔にハンディがある分、いい成績をとらないと就職には不利だろうと、連日のように夜遅くまで学校の図書館で勉強しました。そのかいもあって、成績はオール優。しかも、学長推薦などもあり、就職部の人からも「自信をもって臨みなさい」と太鼓判を押されていたのです。ところが、現実はとても厳しかったのです。五十社受けて、すべて不採用。あるとき、思い切って、その理由を尋ねてみると、「営業目的だから、藤井君のような顔をした人間を得意先に行かせることはできないんだよ」ときっぱり告げられたのです。自分のすべてを否定されたように思え、そのときばかりは死を意識しました。それでも、なんとか思いとどまることができたのは、母が口癖のように言ってくれた、あの言葉がふと心に浮かんできたからです。「あなたの顔は宝物よ」。この言葉を何度も反すうしているうちに涙があふれました。そして、この人生を生き抜こうと、心に誓ったのです。

すると、不思議な出会いに恵まれました。臨床医学研究所の先生から「君のように病気を抱えている人材がこれからの医療・福祉の分野にはどうしても必要だ」と声をかけられたのです。そのひと言が医療・福祉の道を志すきっかけとなりました。

人は、自分のことを信じてくれる人がいるという確かな実感があれば、どんなにつらいことがあっても、それを乗り越えていくことができます。私は顔の病気のおかげで、たくさんの有り難い出会いをいただきました。人生に失敗なんてありません。ありのままの自分に誇りを持って一歩を踏みだすことです。そうすれば、きっとその先には輝かしい未来が開けているのです。


『やくしん』2012年6月号 (佼成出版社


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