いのちの響き

世の中には、いのちを支える仕事に就いている人がたくさんいます。また、限りある自分のいのちと向き合うなかで、輝きのある人生を歩み始めた人もいます。日々 、どういのちと対峙しているのか。その思いを聞きました。

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いのちの響き

人は愛されて人になる 内田 美智子さん (助産師)

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内田 美智子(うちだ みちこ)
1957年、大分県生まれ。国立小倉病院附属看護助産学校助産師科卒。1988年から内田産婦人科医院に勤務。夫は、同医院院長。院内で子育て支援の「U遊キッズ」を主催するほか、「生」「性」「いのち」「食」をテーマに全国で講演活動を展開。思春期保健相談士として思春期の子どもたちの悩みを聞く。九州思春期研究会事務局長、福岡県子育てアドバイザー、福岡県社会教育委員。著書に、『いのちをいただく』『ここ─食卓から始まる生教育』(ともに西日本新聞社・いずれも共著)などがある。








──助産師として、二千五百人以上の赤ちゃんを取り上げてきて思うこととはなんですか。

赤ちゃんがこの世に誕生するというのは、人智を超えた奇跡のような出来事なんですね。人として生まれてくるためには、多くの困難を乗り越えなければなりません。実際に、この世に生まれてくることができない命があります。誕生後、数時間しか生きられない赤ちゃんもたくさん見てきました。

命と向き合う仕事を続けてきて強く感じることは、「人はそこにいるだけで価値がある」ということ。赤ちゃんは、愛され、支えられる安心感に包まれながら大人へと成長していきます。中高生の相談にのっていると、「生まれてこなければよかった」「私は産んでほしいなんて親に頼んでいない」と言う子がいます。そうした言葉の奥には、自分へ向けられた愛情の深さを確かめたいという心理が潜んでいます。他の誰でもない、私のお母さんに「あなたが大切なのよ」と言ってほしいのです。

成長するなかで、子どもたちは、迷ったり、悩んだり、自分を否定することもあるでしょう。そんなとき、私は声を大にして言いたい。「そこにいるだけでいいんだよ」と。どの子にも、生まれてきたことの素晴らしさを知ってほしい。人がそこにいるだけで価値があることを理解してほしいのです。

──思春期の子どもたちと関わるうちに見えてきたものは。

寂しい思いを抱える子どもに共通しているのは、生きる基本であるはずの「食」がおざなりになっているということです。

例えば、お母さんが子どもに「自分の体を傷つけるようなことはしてはだめよ」といくら口で伝えようとも、食卓に並ぶのが冷凍食品やインスタント食品だったなら、〈自分は大切にされていない〉と子どもは感じ取ります。朝食を食べなかったり、一人でご飯を食べたり、毎日、コンビニ弁当だったり……。こんな食生活では、子どもたちの健全な心と体がはぐくまれるはずがありません。

お母さんが手抜きをする理由として、「共働きで忙しいから」と言う人がいます。でも、果たしてそうでしょうか。「食」を放棄するほどの忙しさって、どんな忙しさでしょう。もしかしたら、「面倒くさい」を「忙しい」にすりかえているだけではないでしょうか。

ひと昔前のお母さんは、今よりももっと忙しかったと思います。それでも、当たり前のように、梅干やぬか漬けを作ったり、皆で食卓を囲み、子どもにお手伝いをさせたり、子守唄を歌い、寝かしつけたりしていました。食をはじめ、「豊かさ」が子どもたちの心をはぐくむんですね。ですから、どれだけ親の自覚に立てるかなんだと思います。生きることを大切にすれば、食が大切になります。生きることは食べること、食べることは生きることにほかならないのです。

「幸せな食卓」とは、食事を大切にする食卓です。一緒に食べる人がいる食卓です。食事の時間が楽しくてたまらない食卓です。お母さんが家族のために作った料理が並ぶ食卓です。たかが食卓、されど食卓なのです。子どもの心の豊かさは、食卓で決まるといっても過言ではありません。

──子育てに戸惑う親に向けたメッセージをお願いします。

私が子どもたちの将来のことを思い、この世からなくしたいものがあります。それは、テレビ、携帯電話、ゲーム、ファストフードです。これらは家族が心を交わす時間を侵害するものだと思うからです。しかし、どうあがいても、それらをすべて排除することなんてできません。

では、どうすればいいのか。私たち大人が一歩でも、いや半歩でも踏み出してみることだと思うのです。それは特別なことではありません。食卓を囲むときはテレビを消して会話を楽しむ。食卓には携帯電話を持ち込まない。朝、子どもが登校するときに、玄関まで行って送り出し、おふくろ料理にとことんこだわってみるといった具合にです。これまで子どもの誕生日にしかお祝いをしなかったら、両親の誕生日をお祝いする。しかも、子どもが率先して、両親の誕生日をお祝いできるような子に育てる。それが子育ての着地点のように思えてなりません。

わが家には、長女が生まれてから毎年クリスマスにサンタクロースがやってきました。もちろん、サンタは私たち親。長女が二十歳になったときのことです。長女の部屋にサンタから一枚のカードが届きました。「サンタクロースは子どもにささやかな夢と希望とプレゼントを運んできます。あなたは今年、二十歳になりました。もう、あなたのところに来ることは出来ません。夢と希望を叶えたいと思えば、自分の力と少しだけお父さん、お母さんに手伝ってもらって叶えてください」。長女は、「サンタさん、もう来ないんだって。たくさんの夢をありがとう」と号泣しました。〈優しい子に育ってくれたのね〉。私もそうつぶやきました。

私は子どもを産んだとき、初めて「愛おしい」という言葉の意味が理解できました。子どもが幸せになってほしいと願わない親はいないはず。人は愛されて人になるのです。ぜひお母さんたちには今しか味わうことのできない子育てを楽しんで、たっぷりと愛情を注いでいってほしいと願っています。


『やくしん』2012年2月号 (佼成出版社


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