いのちの響き

世の中には、いのちを支える仕事に就いている人がたくさんいます。また、限りある自分のいのちと向き合うなかで、輝きのある人生を歩み始めた人もいます。日々 、どういのちと対峙しているのか。その思いを聞きました。

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いのちの響き

宮ぷーと共に意思伝達大作戦 山元 加津子さん (特別支援学校教諭・作家)

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山元 加津子(やまもと かつこ)
1957年、石川県生まれ。特別支援学校教諭を務める傍ら、作家活動も行ない、障害児などに対する理解を伝えている。2009年2月に同僚・宮田俊也さんが脳幹出血で倒れて以降、毎日病院に通い、宮田さんを励ましながら、意思伝達方法を探る。回復の過程をメールマガジン「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」(http://www.mag2.com/m/000102961.html)で毎日配信。全国で講演会活動も行なっている。一昨年12月発刊した『満月をきれいと僕は言えるぞ』(三五館)は宮田さんとの共著。最新刊『手をつなげば、あたたかい。』(サンマーク出版)も好評を博している。





親友の気持ちが知りたくて

──ご著書『満月をきれいと僕は言えるぞ』には、「GO! GO! 意思伝達大作戦」という副題がついています。意思伝達大作戦とは?

私たちは毎日、当たり前のように気持ちを言葉や態度にして伝え合って生きていますよね。でも世界には、病気や障害のために、愛する家族や友人に気持ちを伝えることができない、思いがあることさえ気づいてもらえない状況の方々がたくさんおられます。私の親友、「宮(みや)ぷー」こと宮田俊也(みやたとしや)さん(以下・宮ぷー)もその一人でした。
宮ぷーは私の同僚で、特別支援学校の教諭です。「宮ぷー」とは子どもたちがつけたあだ名です。みんなに愛されていた宮ぷーが三年前の冬、脳幹出血で倒れました。四十二歳のときでした。出血は広範囲に渡り、たとえ助かっても一生植物状態、一生からだのどこも動かないだろうとお医者さまに言われました。あれから三年。宮ぷーは生きています。厳しいリハビリに励み、いま、指の動きで意思伝達装置のスイッチを操作し、ひらがなを一つ一つ選んで思いを伝えています。また、口の形や表情などでも、思いを伝えられるようになってきました。 あるとき、宮ぷーが病室の窓から月を見て、「まんげつをきれいとぼくはいえるぞ」と言って涙を流しました。きれいなものをきれいと言える、大好きな人に大好きと言える。それがいかに大きな喜びか。病や障害で思いを表現できない人でも、意思伝達の方法さえ得られれば、「当たり前のように」思いを伝えられることを知ってほしい。私と宮ぷーの願いです。

──実際に、宮田さんが自分の思いを伝えられるようになるまでの山元さんのかかわりについて教えてください。

宮ぷーは重篤(じゅうとく)な状態でした。瞳孔は開き、人工呼吸器がつけられていました。私は宮ぷーに「生きて、生きて」と言い続けました。倒れて八日目に宮ぷーの目が開いたとき、眼球は動かないけれど、私が話しかけたときの目の光の様子が違うと感じました。私はからだのどの部分でもいいから、私の声に反応してくれるところはないか探し続けました。そしてあるとき、「今日は晴れですか」という質問に小さなまばたきで答えてくれたのです。その後、「あいうえお表」を使って、宮ぷーの目の動きで言葉を読み取るようになりました。そして次に、「あかさたなのスキャン」を始めました。私が耳元で「あ、か、さ、た、な」と言うと、宮ぷーがまばたきで反応します。「あ」で反応すると、伝えたい言葉が「あ行」にあることがわかり、今度は「あ、い、う、え、お」と言い、また宮ぷーがまばたきで答える、その繰り返しです。最初に伝えてくれた言葉は「か」と「こ」でした。「私の名前を呼んでくれているの?」と聞くと、「うん」とうなづいてくれました。優しい気持ちが伝わってきました。いま、意思伝達装置で宮ぷーが伝えてくれる言葉は愛にあふれています。「ありがとう」「ごめんね」「だいじょうぶ?」。私はうれしさと同時に、〈まだたくさん、意思を伝えられずに悲しんでいる方がいる〉と思い、せつなくなるのです。

──メールマガジンは登録者が五千人を超えていますね。

もともと宮ぷーが倒れたときから「大丈夫、必ず意識が戻る日が来る」と信じていたので、意識が戻ったときに、きっと意識がないころの自分の様子を知りたいに違いないと思い文章に残していました。でも今は、宮ぷーの一所懸命に生きる様子を多くの方にお話ししたくてたまらなくなりました。
メルマガを通してすごく感じるのは、「みんな一つのいのちを生きている」ということ。宮ぷーが車いすに乗れたとき、皆、わがことのように喜んでくださるし、つらく苦しいときは共に悲しんでくださる。宮ぷーも、悩みを抱えて苦しんでいる人に「あきらめないで」と発信します。病室にいても社会とつながっているんですね。

いつかいい日のために

──なぜ、山元さんはあきらめなかったのでしょうか。

特別支援学校の子どもたちがずっと教えてくれたんです。重い障害によってこちら側がなかなか感情を読み取れない子にも必ず「思い」があるということを。「大好き」って言うと喜ぶし、春風に気持ちよさを感じているのが分かります。あきらめなければ脳はたくさんの可能性を持っていることを、子どもたちから学びました。私は特定の宗教はしていませんが、神さまや仏さま、何か大きな力が応援してくださっているという気持ちがいつもあります。「あきらめない」と決めたら、あきらめないことを応援してくださるような気がします。

──最近の宮田さんの様子は?

東日本大震災のことで宮ぷーはとても心を痛めています。あるときこんなことを伝えてくれました。「つらいこと、かなしいことがあっても、いきていたらきっといつかいいことがあるってぼくはおもう」。そして何度も「ぼくにもできることあるかな」と言います。宮ぷーも命にかかわる大変な状況を乗り越え、いま生きていてよかった、と思えるのだと思います。そして多くの人の支えや祈りのなかで自分が生きていることを実感しているのです。
どんな日も、いつか来るいい日のためにあること、みんなで一つのいのちを生きていることを、これからも宮ぷーとともに発信し続けていきます。

『やくしん』2011年6月号 (佼成出版社


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